ヨルダンで華麗に(?)フリーランスに転身した経緯

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ルダンで2つの旅行会社に勤務した後、フリーランスに転向することになりました。タイトルに書いた「華麗に」というのは全くの冗談で、自分の意志とは全く無関係でした。というのも、その当時フリーランスとは何たるかもよく分かっていませんでした。そのいきさつについて、少し書き綴りたいと思います。

1つ目の旅行会社も2つ目の旅行会社も体質は全く同じで、仕事の効率は悪く、お給料は雀の涙ほど、しかも全ての従業員がヘビースモーカー。もうもうと煙が上がるオフィスで半年も仕事をしていれば、もう生ける屍(しかばね)のごとくになります。☠☠ 実際、2つ目の旅行会社では、やめる直前に社長から「なんか疲れてるみたいだね。入社当時はあんなにハツラツとしていたのに」といわれる始末。アンタのせいや、アンタの! そしてアンタのスタッフのせいやで! と心で毒づきながら、「ハイ疲れてます」とだけ答えました。

当時の私(笑)

その後、日本に一時帰国しまして、残りわずかになった貯金の額を眺めながら「どうしようかな~」とぼんやり考える日々。この額では先がもう見えている…。実際手元に残っていた額は20万ほど(笑)。でもとにかくヨルダンに帰りました。まだ怖いもの知らずだった若いころ。

2.フリーランスという働き方を提案されてから

ヨルダンに帰ってから再び就職活動を始めますが、どこに就職しても安月給のヨルダン…。もらえるお給料には限りがあります。やっぱり本帰国しかないか…と絶望的になっていたころ、ビジネスパートナーとして仕事をしたいという旅行会社が突如現れました。社員として雇いはしないけど全面的にバックアップする、つまりフリーランスとして働いてお客さんを取ってきて欲しい、後のことは全て旅行会社に任せて、うんちゃらかんちゃら…という話でした。

フ、フ、フ、フリーランス????🤯🤯 そんな働き方が自分にできるとは思っていませんでした。なんせ今から12年も前の話です。会社に雇われたことしかない私にとっては、もうあり得ない選択肢! 想像もできない世界で、気が遠くなりそうでした。

初めはその会社に「絶対無理です」といって断っていました。でも2週間考えに考えて、「やっぱりやってみます…」ということになりました。欧米人の友達が「絶対にやったらいい!」とすごく強く勧めてくれたことが大きかったです。彼らにとっては、フリーランスという働き方は全く普通のことのようでした。

3.とにかく始動する

私のほうは自信も経験も全くなく、会社という看板もなく、突然に知らない場所に放り出されたような気分…。でもとにかくホームページを作ることから始めました。見よう見まねで作ったホームページ。

時代が良かったのだと思います。2009年当時、ヨルダンを扱っている日本の旅行会社はまだ多くなく、日本のマーケットに私が入り込む余地がありました。また旅行会社に勤務していた時からブログを書いていたので、ブログの読者さんからお問い合わせが来るようになったり、思っていた以上にお問い合わせが増えていきました。

当時はまだスマートフォンなどがなかった時代。見よう見まねで作ったホームページはもちろんモバイル対応でもなんでもなく、パソコンで閲覧するためだけのもの。その後、時代はすごい勢いで変わっていきましたが、あの当時はまだ原始的な方法で仕事をしていたな~。

4.フリーランスになってから感じたポジティブな面

フリーランスに転向してから、すぐに気づいたことがあります。なんという自由感! 解放感!

何が一番いいって、「アナ、アナ、アナ」(俺、俺、俺) といつも自分のことばかり考えているジコチューな”オレオレ上司”と付き合わなくていいこと。持ち上げるのに大変です。

それからお客様第一に考えられること。一つの会社に縛られていると、お客様のことを第一に考えることができません。金(カネ)、カネ主義のヨルダンでは特にそうです。会社勤務の時はどうしても会社という看板を背負っているので、「あれ、この見積もりおかしいな」とか「もっと値段を下げられるはずだ」と心で思っても、何とかかんとか苦しみのうちに会社をフォローしなければなりません。

アラブは一般的に先行投資という考え方を持ちません。たった今! お金が手に入ったらいい、という非常に近視眼的な「その日暮らし主義」。もちろんすべての人がそうではありませんが、一般的にこうした考え方がとても多い。ですからアラブ流のビジネスもそんな感じ。そんな手法で仕事をしていると、シビアな日本の企業からは相手にされなくなることもしばしば。ヨルダンの会社と日本の会社の間に挟まれて苦しんでいたあの葛藤から解放されたことが夢のようでした。

5.フリーランスの大変さとは

フリーなりの大変さもあります。すべて自分の足で確かめなければなりません。旅行会社に勤めていた時は、いちいち上司に確認。こう書け、こう言え、と言われた通りにお客様に情報を提供していました。ラクチンでしたけど、「本当はこのお客様、違うことを知りたいんだろうなぁ…。これを言ったら助かるだろうなぁ」などと心がチクッ、ズキッとしたり。

フリーになってからは、お問い合わせに対して、自分の足と目で確認したことを伝えるように心掛けました。た~くさんのお問い合わせが毎日来ましたが、内容が千差万別。私の想像を超えたあらゆるお問い合わせ。へっ? というようなものもありますが、面白い。とても勉強になりますし、楽しませていただいています。現在はコロナで旅行が制限されている状況ですが、コロナ後にまたお客様とやり取りができることを楽しみにしています。

そしてフリーになってから、ヨルダン国内の色々な旅行会社を試してきました。アラブは自信満々なので、不敵な笑みを浮かべて「絶対に満足させますよ」「うちのサービスは最高だからね」などと口だけは本当に立つんです。でも信じてはいけません。実際に仕事をしてみると、もう失敗だらけ。フォローのしようがなく、がっかりすることのほうが多い。またか! やっぱりな! この口先男め! と、何度手を切ってきたことか。そして何人ものドライバーを首にしてきました。

以前の記事に書いたように、ヨルダンの現地旅行会社は非常に保守的なコテコテのアラブの世界。2008-2009年当時、旅行会社といえば家族経営がほとんど。

6.最強のビジネスパートナーとの出会い

私は家族経営ではない数少ない旅行会社をずっと探してきて、色々試した結果、ヨルダンでは非常にまれな女性マネージャとの出会いに恵まれました。2013年のことです。本当に偶然の出会いでしたが、この女性マネージャとすぐに意気投合。

彼女はヨルダン人ですが、アルバニア系の血が入っているらしく、アラブらしからぬ青い目をした素敵な女性。アメリカに留学していたこともあり、色々な点で彼女といるとアラブといるという感じがしません。その分、アラブ社会での苦労は人並み以上です…。アラブ女性がアラブ社会で男性の力を借りずに、自分らしく本領を発揮して自由に生きるのは至難の業です。

アラブ社会には、アラブなりの「恥(アイーブ)」と呼ばれる数々の”掟”が存在しています。外国人女性やアラブ男性には適用されませんが、アラブ女性にはこの”掟”に従うことが暗黙のうちに要求されます。そんな中で色々な葛藤がありながらも、仕事においては常に完璧を目指し、右に出るものを許さないこの女性マネージャ。アラブ社会に根強く残る「コネ制度」に頼ることをあえて避け、海外の新しい取引先を常に開拓してるフロンティアでもあります。

私たちは歳が近いこともあり、また色々な感覚が似ていることもあり、話が合います。彼女のように本領を発揮できずに終わっているアラブ女性も多いはず。こうした「真に賢い」アラブ女性たちが活躍できる場がもっと増えればいいですね。彼女が先頭に立って率いるこの会社はヨルダンで3番目に集客率が高く、ぺトラへのツーリストの集客率が最も高い会社の一つに選ばれて、賞を獲得したこともあります。

一番左の女性が私の友達でもありビジネスパートナーでもある優秀なマネージャです。

男性優位なアラブ世界でこうして結果を出すことで、アラブ男性からも信頼と敬意を勝ち得、誰にも文句を言わせない。それが彼女の凄いところです。彼女との出会いで、私の仕事もグッとしやすくなり、ストレスが激減したことは言うまでもありません。

7.そしてアラブ世界の闇に巻き込まれる…

さて、仕事も順調でヨルダンでの生活を謳歌していた2013年ごろのこと…、ついにアラブ世界の闇の部分に巻き込まれることになります。実はアラブはとても嫉妬深い。アラブ社会では、ビジネスの世界での嫉妬もかなり多い。これを身を持って体験することになります。

同業を名乗るヨルダン人男性 (その当時で50代半ば) から目を付けられ、ホームページからの執拗な違法転載から始まって、ありとあらゆる嫌がらせの被害に遭いました。アラブの典型的な思考は、自分では努力したくないが、誰かが成功しているのは許せない。だったら叩きつぶそう、という短絡的な考え方です。自分には独創性はないが、相手の独創性は自分のものにしたい。だったら盗んでしまおう、という感覚。それに対して「恥ずかしい」という感覚はありません。常に自分が中心です。

まともなヨルダン人もいますが、とことん汚いヨルダン人もいる。嫉妬は理性を失わせます。もともとが理性的というより感情的な国民であるアラブ…それが嫉妬に狂うと…手が付けられません。関わらないに限ります。

でも問題は、嫉妬深い人に執拗にそして一方的に追いかけられ、宣戦布告されるケース…。これはアラブ社会ではよくある話 (しかも、ヒジョーに一方的な宣戦布告が多い。自分は相手の存在すら知らないことも多々ある)。そして、一方的な宣戦布告の後には、低レベルな嫌がらせのオンパレード。執拗な違法転載、嫌がらせの電話や脅しのメール、文書の偽造、ネットでの嘘などなど…。枚挙にいとまがありません。何でもあり。とことん姑息です! 全く望んでいないのに、この手が付けられないほど嫉妬深いアラブに執拗に付きまとわれることに…。トホホ。

この男性の嫌がらせは2013年に始まり、コロナ前まで、つまり2020年初頭にも続いていました。本当にシツコイ! しつこいのもアラブの特徴。コロナが始まって旅行の仕事が影を潜めたと同時にヤツも静かになりましたが、コロナ後にまたきっと嫌がらせが始まることは目に見えています。日本とヨルダンの弁護士にも相談しましたが、最終的にはこうした低レベルの人間には関わらないのが一番だということ。ヤツが自然淘汰されていくのを待つしかありません。

こうした嫌がらせに遭いながらも、仕事は順調で (だからこそヤツは私のことが許せないようですが) ビジネスパートナーは増え、お手配先はオマーン、イラン、トルコ、エジプト、レバノン、サウジなどへと拡大していきました。

8.アラブ世界の甘いと酸いを両方経験する

私のビジネスパートナーである女性マネージャと彼女率いるスタッフは、私がヨルダンに住んでいる間ずっと、このヨルダン人の嫌がらせにあっている私を全面的にサポートしてくれ、盾となって守ってくれました。このヨルダン人は、嫌がらせの電話や脅迫電話を私の取引先にもかけたりしていたのです。しかもその言い分が…私がヨルダン国家を脅かす存在だとか。もうね、頭おかしいんちゃうんアンタ? のレベルですよ。私はあくまでフツーの女性で、国家犯罪を犯せるほど大した人間ではありません(笑)。

ところでアラブは身内意識が強いので、どんなに理不尽でも最終的には仲間のアラブの肩を持つことが多い。ですから通常、外国人への嫌がらせは必ずといって良いほど成功します。でも彼は成功しませんでした。外国人である私がアラブたちから庇護されていることに戸惑った様子。

そんなわけで泣かされるのもアラブ、慰めてくれるのもアラブ。アラブ世界の甘いも酸いも全て経験することになりました。とことん汚いアラブがいる反面、とことん素晴らしい人格者であるアラブがいるおかげで、中東での生活はやっぱりスバラシイものでした。

その後私はシリア難民に関わるボランティア活動のために、いったんドイツに移動し、その後トルコに移動します。現在も引き続きアラブ世界と関わり、アラブ世界の甘いと酸いを体験中。でもアラブの思考というものを理解できるので、それは自分にとってかなりプラスだと思っています。

9.Comfort Zone (コンフォートゾーン) を抜け出すことのススメ

そんなこんなでフリーランスとして活動してきたこの12年。自分の限界が少しずつ押し広げられていくという経験をしてきました。限界というのは自分で決めるものではない。どこまでも広げられるものだと思います。でも日本にずっといたら、決して経験できなかったことだと思います。

だからこそ若い世代には、慣れ親しんだ環境を抜けだして自分の限界を押し広げる経験をしてほしいと思います。英語ではよく “Go out of your comfort zone” という言い方をします。自分が心地よいと感じる環境に居続けることは簡単ですが、それを抜け出すときに、本当の自分を知り自分の真価を試すことができます。そして本当の意味で成長できる

もちろん、こうしたことは自分だけの力でできることではありません。人生の良きアドバイザーとなってくれる人たちの存在が絶対に必要。私は行く先々で友達に恵まれていると思います。

そんなこんなで想像以上に中東に居座って40代を迎えてしまいましたが…(笑)、40歳になってもなお自分の限界を押し広げることができるのは非常に貴重な体験だと思っております。🤓🤓

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