レバノンはどんな国?① ― プライバシーのない街と濃密な人間関係

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この記事は「月の砂漠-ヨルダンから」という私のブログ記事に掲載したものをまとめたものです。

最近 日本でもよく聞くレバノンという国…。イスラエルの猛攻撃に遭っていて、国家存亡の危機 (?) なのではないかという状況に立たされています。でも実際にレバノンってどんな国なのかはあまり知られていないのではないでしょうか。

私にとっては「プライバシーなどというものが存在しない、とことんのアラブ世界」。実は私はレバノンに 2010 年から 2011 年まで約 1 年半ほど住んでいました。レバノンを離れてからも、定期的にレバノンには通っていました。最後にレバノン入りしたのは 2 年半前の 2023年 9 月。

最初にレバノンに移動したのはアラビア語習得のため。ベイルートで住んだのは、かなり庶民的な中流以下の階級が住む「ナバア」というエリアと、いわゆる中流階級が住む「Sin el Fil (シンネルフィル)」の両方。大使館関係者や駐在 (いるかどうかは分かりませんが💦) の人が見るレバノンとは全く違う生のレバノンを見てきました。

レバノンといえばこんな風景をお見かけになる方も多いかと思いますが…、

これは本当に一部だけ。ハムラと呼ばれる観光客が集まるエリアのごく限られた場所だけきちんと整備されています。

観光客がこないベイルートのほとんどの場所はこんな風 (↓) に、電線が無茶苦茶に絡み合い、ゴミも多くてきれいとは言い難い。これがごく一般的なレバノン人の住環境です。

以前はいわゆる高級住宅街といわれたエリア (アシュラフィーエなど) もあったのですが、経済不況にあえぐここ数年は、こうしたかつての高級住宅街もかなり荒れてきているようです。

レバノンに住んでいた当時の暮らしの様子は「月の砂漠-ヨルダンから」という楽天ブログである程度書き綴ってきたのですが、今回はまとめとして書きたいと思います。

ちなみにディスっているわけではない

中東で面白いのは「人間観察」。アラブと接すると毎日がドラマの世界…。滑稽すぎて開いた口が塞がらなかったり、かえって笑えてきたり。アラブ世界に住んで「飽きる」ということはありません。

ディスっているように思われるかもしれませんが、愛着がなければ 17 年もアラブ世界にとどまらない。とはいえ、レバノンを好きになれなかったことは事実。ちなみに私がこよなく愛する国はエジプト。それでも、レバノンに住んでいなかったらエジプトを好きになることもなかったかもしれない。

私目線で綴った「レバノン批評」をお楽しみください!

レバノンでの生活にプライバシーはない

レバノンでは監視カメラは要りません。誰かの目から逃れられる場所はほとんどありません。アパートというアパートが所狭しと建っています。あまりにも接近しているので、別棟のアパートかどうかも判別が難しいほど。

この写真のように目と鼻の先に向かいのアパートがあります。ですから、お向かいの家の様子がまるで映画を見ているかのようにすべてわかります。

写真ではあまり分かりませんが、ベイルートの暑い夏の時期は、ほとんどの家がパーンと窓を開け放します。ですから隣人の生活の一部始終を観察できます。会話も筒抜け…。

バルコニーで洗濯を干していても、四方八方にアパートがあるわけですから、どこかのアパートのどこかの住人と目が合います。私の部屋は最上階なので、それでもまだ人々の目が届きにくかったのですが、プライバシーが必要な私にとってはかなり疲れる環境でした。

私はプライバシーの確保のためにレースのカーテンで住人からの視線をシャットアウトしていました。特にキリスト教徒が大半を占めるようなエリアでは、日中からカーテンを閉め切るようなレバノン人はほとんどいません。

とはいえ、このレバノンで自分の限界をとことんまで押し上げることができたのも事実。本当は一人時間が大好き。でもレバノンでは毎日のようにどこかの家に上がり込んでいました。一人にさせてくれない世界でアラビア語に四六時中さらされ、アラビア語がぐんぐん伸びたの事実。

中東に 17 年住んだ今となってはかつての自分がどうだったかすら忘れかけていますが、日本にいたら決して伸びようがなかった隠れた自分を引き出してくれたのがレバノンだったのかもしれません。

ご近所さんとのコーヒータイムはレバノンの日常

ベイルートの風物詩は、朝にご近所さんと一緒にコーヒーを飲むこと。いつ誰が訪ねてくるかなんて分かりません。まるで自分の家のように上がり込んできます。

断るなんていう選択肢がほぼ存在しないのもアラブ世界の特徴。訪ねてきた知り合いに門前払いは許されません。約束がなくても、です。まさに土足で上がってこられます。

私は外国人ですし、誰かれ構わず仲良くするタイプではないので、ご近所付き合いは避けていました。訪ねるのは仲の良い友人だけ。友人が真向かいのアパートに住んでいたので、よく訪ねたものです。

中東の井戸端会議

レバノンに限らず、中東では道端での井戸端会議に花が咲が咲く、咲く、咲く。井戸端会議といってもおばちゃんたちだけではありません。おじちゃんたちの井戸端会議が圧倒的に多い。複数の男性が道端やお店の前にわらわらと固まり、なんやなんや、大事件でもあったんか? と思うと単に話しているだけ。本当にアラブは群れるのが好き。

あっちにも人。こっちにも人。あっちでもガヤガヤ。こっちでもガヤガヤ。静けさとは無縁の世界。日本に帰国したときに道路が妙に静かなのに驚きました。誰も外に出ていない、たむろっていない…。静寂…!! そう、中東では「静寂」などというものを期待すらできません。

夏のベイルートの風物詩は Zaffa (ザッファ)

夏のベイルートは何かと騒がしい。春になるのを待ちわびたかのように人々は活動的になり、この時期は結婚式が相次ぎます。私の住む地区でも毎日のようにドンチャン・ドンチャンとどこかの家で「Zaffa (ザッファ) = 結婚式前の行進」が行われていました。

ちなみにザッファとは、結婚式の日に花婿が花嫁を家まで迎えに行くときのいわゆる祝賀行進。そのお迎えが非常に騒がしい。どんちゃかどんちゃかと音楽で盛大に盛り上げます。太鼓や笛で場を盛り上げるパフォーマーたちが雇われます。花婿と花嫁、また親族や家族は道路でひとしきりダンスを繰り広げます。

その後、式場に向かう一行がクラクションをがなり立てて去っていきます。

ちなみにそれを近所の住人たちが観察する姿も、ベイルートの風物詩。

小さな町内だけでもあんなに多かったのですから、レバノン全体では毎日何組が結婚しているのでしょう。

生まれる命あり、去り行く命ありのレバノン

当然のことながら、新しい命も次々に生まれます。高齢化社会の日本とは対照的に、中東では人口の 60% が 30 歳以下とも言われています。そんな中、去りゆく命も。

レバノンでは交通事故による死者が後を絶ちません。我先にと先を争うめちゃくちゃな運転と、ほとんど存在しない交通ルールのせいで、あちこちで大きな事故が起こります。

無駄な早死にをする若者が非常に多いのも中東の特徴かもしれません。特にレバノンでは、息子を亡くしたという人があちこちにいます。せっかく生まれても、道半ばで途絶える命も多いのです。

あるとき私が住んでいたエリアで、20 歳の息子さんが交通事故で亡くなったというニュースが町内を駆け巡りました。高速道路をバイクで走っていて、車にはねられたということ。

故人の家の近所には、下の写真のように白のテープが張り巡らされ、お葬式があることが分かります。

町内のあちこちに、亡くなった若者の写真が貼られます。彼の友達だった人の車にも写真が貼られ、白いテープが車体に巻かれます。こうした車を何台も見かけます。棺(ひつぎ)を運ぶ霊柩車の後には、こうした故人の写真を掲げた友達の車が列をなし、早すぎる死を悼むのです。

亡くなってしまっては、死を悼んでもどうしようもありません。亡くなる前になんとかならなかったのか…あまりにも惜しすぎます。レバノンでは、ヨルダンやシリアなどと比べてバイク人口が多いのですが、ヘルメットをしている人などほとんど見たことがありません。渋滞する車の列を縫って若者の運転するバイクが勢いよく走りますが、ヘルメットなしでの無謀運転は本当に危なっかしい。車の運転手も絶えずイライラし我先にと突っ込みますので、事故が起きるのは必然。

日本やトルコでは、地震などの災害が起きたときにペットが救助され保護されているというニュースを聞くことがあります。動物の命さえ懸命に救助されているのに、ここレバノンでは人間の命が、それも助かるはずの命でさえあまりにも簡単に取り去られていきます。せっかくの命、もっと大切に…と思わずにはいられません。

レバノン人のプライドは世界一?

レバノン人は極めて誇り高い国民。これは中東諸国の中でもよく知られた事実で、レバノン人=proud + showing off (プライドが高く、目立ちたがり屋) と評価されることがよ~くあります。

 自国をこよなく愛し、何かにつけて自分たちが一番だと考える (誤解する) 傾向があります。 レバノン人同士で集まると、何かにつけて「やっぱりレバノンが一番よね~」という会話が何度となく交わされます。

ただし現在のレバノンはもう何年も経済不況にあえぎ、さらにイスラエル軍によってボコボコにされているので、この手の会話はもはや成立しないと思われます…。

もちろん、レバノンを離れて海外に住んでいるレバノン人も多くいます。こうしたレバノン人は、海外で暮らしたことがないレバノン人とは全く別の視点で世界を見ていることでしょう。1975 年の内戦ぼっ発の時に自国を離れたレバノン人も多くいます。海外で生まれたいわゆる「二世」や「三世」は、アラブ文化と生まれ育った国の文化の両方を吸収しています。それで、非常に魅力的な人になることが多いように思われます。実際、私の親しい友人の多くが、アラブでありながら海外で生まれ育った二世です。

とはいえ、海外で暮らしたことがないレバノン人たちの場合、レバノンが世界一美しい国だという幻想を抱いている人が多いように思われます。この誇りは一体何に根ざしているのでしょう。まず、その豊かな自然。レバノンは国土の面積がちょうど岐阜県と同じ大きさ。中東の中では一番小さな国ですが、山あり海あり、四季あり、緑あり…というのがどうも大変に自慢らしい。

確かに「中東=砂漠」というイメージ。中東のヨルダンや湾岸エリアのサウジやカタールなども砂漠が国土の大半を占めているので、厳しい気候であることは確か。

でも…日本をはじめヨーロッパやアメリカなど、世界にはレバノン人が誇りとする四季、海、山、川、緑が豊かに存在する国が数多くあります。しかもレバノンの規模を大いに上回ります。そんな世界に対して「俺様が一番だ」というのは、挑戦行為にも思えますが…💦

私は表向きあえて抵抗しませんが、同意もしません。心の中では「もっと世界に目を向けようよ…」とかなり興ざめしていました。

実際、ごく隣国のヨルダンのことすら知らないレバノン人が多かったです。満点の天の川が夜空を彩る月面のような砂漠のことも、そそり立つ薔薇色の岩壁の都市ぺトラのことも、真っ白な塩の結晶とサファイアのような死海が織り成すコントラストも見たことがないのです。

私が住んでいた当時は、インスタなどもまったくありませんでしたから、日本に関する正しい知識を持っているレバノン人も非常に少なかったです。今はインスタなどで全く別の文化や風景に簡単に触れることができる時代になっています。最近でこそ、日本に行きたいというレバノン人も増えてきているようですが。

レバノンの教育の程度は非常に高いです。小さいころから他言語を学び、大学教育は普通のこと。とはいえ、レバノン人の多くはプライドの高さで損をしているように思われます。プライドが高いと、他の人から学ぶ機会を逃してしまうからです。

人から学びはしないが、人には教えたい。あの当時は、すぐに自己流うんちくをたれたがるレバノン人が多かった…。こちらが静かに聞いていると弾丸のように自論を展開し、こちらは疲れ果てます。

世界の至る所に簡単にバーチャルでアクセスできるようになった今の時代、「脱・プライド」は若い世代に期待したいと思います。

甘くもあり、酸っぱくもあったレバノン生活

さて、レバノン人にはいい面もいっぱいあります。例えば非常に寛大で世話好き。さらに私の住んでいたエリアは中流または中流以下ということもあり、英語が話せない人が多かった。ですからアラビア語がぐんぐん伸びました。

でも、ふとした時に顔を出すレバノン人特有のプライド…。あれには最後まで慣れませんでした。というわけで、私はレバノンという国もレバノン人も全般としてはそれほど好きにはなれませんでした。

それでも、中東初心者だった私を温かく迎えてくれたものレバノン。レバノンで出会った友達 (その多くがシリア人でしたが) は今でも私の大切な友達です。レバノンでアラブ世界にどっぷり浸かり、アラブの何たるかを骨身に染みるまで体験できたことは大きかった(笑)。

今はイスラエルによる爆撃であちこち破壊され、観光などはほぼ不可能な状態です。いつかまた自由に観光できるようになることを祈っています。レバノンについては、今後シリーズ記事でもっとご紹介したいと思います。

常にゴタゴタしている中東ですが、本当は非常に魅力的な場所。現在お手配が可能なのはエジプトやトルコとなっております。ご関心がある方は、お気軽にお問い合わせくださいね。

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